驚愕!1969年エンジニアがナイアガラの滝を干上がらせると、恐怖の発見が…

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景観保護のための対策

USACEのチームは、アメリカン・フォールズを守る長期的な計画を立てるために、現場の航空写真を撮影しました。

6時間後には分水路は閉鎖され、川の流れは通常に戻ってしまいました。この短時間の経験が、その後の大規模な作戦の元となったのです。

景観保護のための対策

そして、アメリカン・フォールズを救うためのキャンペーンが立ち上がってから2年後、IJCはアメリカン・フォールズ国際委員会を発足させました。

委員会はすぐに、さらに野心的なアプローチが必要だと考えました。浸食の問題を解決するためには、滝から完全に水を枯らす方法を見つけなければならないと考えたのです。

コファダムの建設

最終的には、それをUSACEのエンジニアたちに任せることになり、すぐに計画が練られました。

1966年の方法では、アメリカん・フォールズを流れる水量を通常の25%まで減らすことに成功しましたが、より抜本的な対策の必要に迫られました。そこで、「コファダム」と呼ばれる仮設構造物の計画を立てたのです。

コファダムの建設

一般的にダムは、湖などの一定区域を干上がらせるために水域内に建設されます。

しかしナイアガラ川の場合、エンジニアたちは別のアプローチを試みました。ナイアガラ川では、川の流れに沿って600フィート(約6メートル)の防波堤を作ることにしたのです。

コファダムの建設

USACEは、アルバート・エリア・コンストラクション・カンパニーと50万ドル近くの契約を結びました。

現在の価値で約400万ドルに相当する契約金と引き換えに、同社はコファダムの建設を引き受けたのです。しかし、この会社が担当したのは、滝を干上がらせることだけではありませんでした。

コファダムの建設

特にアルバート・エリア・コンストラクション・カンパニーには、川底が露出している間の洗掘作業も任されていました。

さらに、滝の表面にある緩い岩を取り除き、岩に水を届けるスプリンクラーシステムを導入することも指示されました。

危険な作業

そして、1969年6月9日、ついに作業を開始しました。

しかし、激流の向こう側にダムを建設しようとすると、作業員たちは非常に危険な作業になるということがわかりました。例えば、誰かが水に落ちても、滝壺に落ちるのを防ぐものは何もないのです。

そこで、ゴートアイランドとメインランドをつなぎ、川の真ん中に命綱をつけることにしたのです。

危険な作業

これは運悪く川に落ちてしまった作業員が、滝壺に突き落とされる前に何かに掴まることができるようにと考えられたものでした。

幸いなことに、当時はこの命綱が使われたという記録はありません。そして、3日間かけて徐々にダムの形が見えてきました。

大量の岩石の運搬

しかしそれは決して簡単なことではありませんでした。実際、工事期間中に1,200台を超えるトラックが何度も土砂や岩石を運び、瀑布の上流に投棄しました。

そして、作業終了時には約2万8,000トンもの土砂や岩石を動かしていました。

コファダムの完成

そして1969年6月12日、ついに最後の隙間を塞いでコファダムが完成しました。

メインランドからゴートアイランドまで続くこの構造物は、不可能と思われていたことを見事に成し遂げたのです。そして、12,000年以上の時を経て、初めてアメリカン・フォールズは水を失ったのです。

景観への懸念

しかしこの素晴らしい偉業にも関わらず、地元の人々は、滝を止めることで観光に影響が出るのではないかと心配していました。

確かに年間500万人もの観光客が訪れ、地域経済を支えているのだから、その心配はもっともなものでしょう。一方で、水の中の様子を見ることができれば、観光客が増えるのではないかという意見もありました。

川底の光景

結局、滝が干上がってしまったため、1969年は観光客数が減少しました。

しかし、滝を訪れた人々には、素晴らしい光景が広がっていました。また水が引いていく中で、川底に数枚のコインが現れ、それを拾ってお土産にする観光客もいたそうです。

川底の光景

実際、USACEが滝の閉鎖に成功した翌日から、好奇心旺盛な観光客が訪れていました。報道によると、勇気のある人は川原に一歩踏み出し、中には滝の縁に近づく人もいたといいます。

しかし、ほとんどの人は、ありえないことをやってのけたコファダムを見て満足しているようでした。

川底で見つけたものは…

しかしこの年、アメリカン・フォールズでは、目新しさと興奮に加えて、恐ろしいものが現れました。川底には、この滝のどこかで運命を共にした男女の遺体が発見されたのです。

事件の真相

当時の報道によると、亡くなった男性は、水が枯れる前日にアメリカン・フォールズに飛び込んだとされています。

それを目撃した人は、作業の一環として飛び込んだものと思っていました。しかし、緑のズボンと同じ色のシャツを着て流れに飛び込んだとき、目撃した人たちは何かがおかしいと気付いたのです。

さらに川底で見つかったのは…

飛び降りたタイミングのおかげで、遺体の回収までにはそれほど時間がかかりませんでした。翌日、4人の警察官が乾いた川原で遺体を発見することができました。

名前が記録されていない故人の居場所を突き止めた一方で、彼らは別の重大な発見をしたのです。

さらに遺体を発見

川底を探っていると、赤と白の縞模様の服を着た女性の遺体を発見したのです。

死体はかなり腐敗していて、かなり前に水に浸かっていたことがわかりました。彼女は何者なのか、そしてなぜ滝に落ちたのか。

遺体の謎

謎の真相究明のために、当局は遺体を撤去し、検死を命じましたが、その女性の身元は記録されていませんでした。

しかし、その時に明らかになったのは、彼女が結婚指輪をしていたという悲劇的な事実でした。そしてその指輪の内側には、悲痛な言葉が刻まれていました:”Forget me not(私を忘れないで)”

危険なナイアガラの滝

悲しいことに、ナイアガラの滝で命を落としたのは、この2人だけではありません。今回の調査で、水の下に隠れていた遺体がこれ以上発見されなかったのは意外な気がします。何しろ、知らず知らずのうちに滝壺から転落してしまった人たちが大勢いるのだから。最近では、毎年40人もの死者が出ていると言われています。

ナイアガラの滝への挑戦

死者の多くは自ら命を絶とうとした人たちですが、ナイアガラの滝では多くの事故も死者の原因となっています。

1829年以来、多くの命知らずたちがこの恐ろしい滝からの生還を試みてきましたが、実際に成功したのはほんの一握りでした。

ナイアガラの滝への挑戦

中でも有名なのは、1901年に63歳の教師アニー・エドソン・テイラーが、木の樽に入った状態で滝壺に落ちて助かったことです。1901年、木の樽に入った状態で滝に落ち、無事に生還したテイラーは、「誰も二度とこんなことをしてはいけない」と叫んだと言われています。

しかし、誰もがテイラーの忠告に従ったわけではなく、その後多くの人が彼女の足跡をたどり、さまざまな成功を収めています。